南水梨 長野 [南水梨 長野]
南水梨は長野県南信農業試験場で生まれ、平成2年に品種登録されました。
南水の歴史
南信試験場のある伊那谷は古くから梨の栽培が盛んで、伊那谷を含む南信地域一帯は県下の一大梨産地です。
昭和40年代に他産地が「幸水」を奨励し栽培するなか、この辺りでは「新水」という農林省園芸試験場で育成された品種を奨励品目として栽培していました。
新水は長野県では8月上・中旬に成熟し糖度13%前後の甘い梨で、県外産地では果実の大きさが250グラム程度なのに対して、県内で育てると300~350グラムと特異的に大きくなるという特性があります。
また、酸味も比較的あり「玄人好みする味」でした。
栽培も軌道にのって出荷をはじめたのですが、あるとき市場で数がダブつき、市場の外に1日野積みされたことがありました。
その翌日、取り引きをはじめようと見てみると、新水は高温障害で真っ黒になっていたのです。
新水はあまり日持ちのよくない品種でした。
新水の奨励栽培をあきらめることになったそうですが、長野県で肥大の良いこの新水を親にして、新たな品種を作ろうという動きが出てきました。
昭和48年、当時の長野県農業試験場下伊那分場で交配が行われ新品種の育成がはじまります。
父になったのは「新水」、そして母になったのは「越後」という品種でした。
越後は1つの果実が450グラム前後と大玉で、収穫期は10月中旬頃、貯蔵性にも優れていたのです。
翌49年には種が播かれ、45個体の苗が採取できました。
翌50年に現在の南信農業試験場に定植されましたが、後に南水となるこの木も当時は大きな期待がされておらず、圃場の隅の方に「一応、植えておくか」といったくらいの気持ちで植えられていました。
昭和55年に初めて実が成り、翌56年から品質調査が開始されました。
新水、幸水同様、色が赤味がかり、その外観からこれら2品種と同様8月下旬~9月上旬が収穫適期と考えられていました。
よって調査もその時期に行われ、果重が300グラム前後、糖度13%前後、食味は良~良上といった判定となりました。
「新水、幸水と比べるとやはり劣る。何か1つ足りない」という感じでした。
45の個体から有望系統を選抜し、さらに調査を続けました。
昭和61年、当時の試験場の職員の一言で南水に転機が訪れます。
「実が落ちる時期まで調査を待ってみてはどうか」と提案したのです。
実が熟し、自然に落果する時期まで待って調査しようと考え、この年の調査は9月下旬の26日に行われました。
結果、果重358グラム、糖度14%、食味は極上という判定がでました。
これを受け即座に試食会が開かれました。
地方事務所やJA、生産者代表などでつくる伊那園芸技術振興委員会のメンバーらに試食してもらい非常に高い評価を受けました。
また、県庁や長野県果樹試験場にも南水を持って試食に飛び歩き、当時の県知事にも試食してもらい絶賛されました。
生産者を中心に関係各方面からは、品種登録をせかせる声が聞かれたそうです。
昭和62年に「南農なし1号」という系統名が付けられ、県下で実際に栽培してみて長野県に適した品種であるかの現地検討を行い、晴れて平成2年に品種登録されました。
日本ナシで登録品種となったのは、長野県ではこの南水が初めてです。
命名は公募で集めた多くの候補名の中から命名委員会で候補を絞り、最終的に、「天竜」「竜水」「南水」「秋月」「しなの」の5つの候補名が残りました。
それぞれ命名理由があり、例えば天竜は育成地を流れる天竜川から取り、竜水はその天竜川の「竜」と父親の新水の「水」から取りました。
そして、南水は南信農業試験場の「南」と新水の「水」から名前を取りました。
全国的に栽培されている幸水、豊水などと肩を並べ全国に羽ばたく品種となってほしいとの願いも込められています。
さらに伊那谷を含む南信地域や南アルプスの清涼さ、崇高さもイメージしたのだといいます。
命名にあたり、当初は天竜、竜水が第1、2候補だったそうですが、既にその名前は登録されており第3候補だった南水が命名されました。
長野県オリジナルブランド「南水」は、貯蔵性に優れた梨ですが、お早めにお召し上がり下さい。
お召し上がりいただく、1時間ほど前に冷蔵庫に入れ、冷やして食べるとより南水の美味しさが、お楽しみいただけます。
シャキシャキとした歯ざわりと、南水ならではの甘く瑞々しい果汁が、渇いた喉を潤してくれます。
フルーツ王国信州ならではの秋の味覚です。
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